豊臣秀吉の性格が途中で180度変わったのは脳の◯◯病気説 | かっこいい有名人研究所
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天下をとる前の豊臣秀吉は人から好かれやすい性格をしており、百姓の子から下剋上をしたことで有名です。
そんな豊臣秀吉の人柄の良さが分かるエピソードをご紹介します。
超献身的
豊臣秀吉はその超献身的な行動で織田信長に気に入られます。
豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)は、1554年(18歳)から織田信長に仕えていました。
織田信長の草履持ちをしていた豊臣秀吉は、冬の寒さで冷えた草履を主人に履かせたくないと考えます。
そこで豊臣秀吉は織田信長の草履を自分の懐で温めることにしました。
この献身的な行動がきっかけで織田信長の目に留まった豊臣秀吉は、織田信長に重用される存在になります。
豊臣秀吉の優しい気遣いが、織田信長の心を動かした有名なエピソードです。
人たらし
豊臣秀吉は「人たらし」と呼ばれ、人の心をつかむことに関して天才的な人間です。
島津義久や伊達政宗に対し、豊臣秀吉は刀を持たない丸腰で会う機会がありました。
相手はいつでも豊臣秀吉を斬ることができる状況でありながら、豊臣秀吉の度量にのまれて行動できなかったそうです。
『賤ヶ岳合戦記』では、猛暑に苦しむ負傷兵に対して、農家から買った笠を敵味方関係なく被せて回ったというエピソードもありました。
苦しむ人々にはためらいなく手を差し伸べる姿勢は、敵であっても心を揺さぶられたことでしょう。
豊臣秀吉の器の大きさが感じられるエピソードでした。
人を殺められない
戦国時代というと、敵や失敗を犯した部下などは容赦なく斬り捨ててしまうイメージがある方も多いでしょう。
しかし、豊臣秀吉は殺生を好まない人物であると言われています。
豊臣秀吉は賤ヶ岳の戦いの後、敵対していた毛利一門の小早川隆景にある書状を送りました。
その書状には「無精者は成敗すべきであるが、人を斬るのは嫌いだから命を助け領地も与える」と書かれていたのです。
その後、小早川隆景は豊臣秀吉に積極的に協力し、小早川隆景は多くの功績を挙げます。
豊臣秀吉も小早川隆景を信頼し、「日本の西は小早川隆景に任せれば全て安泰である」と評価するほどの関係となりました。
無用な殺生を好まない豊臣秀吉の周りには、彼を慕う多くの人材が集まっていたことが分かりますね。