ヒロミの若い頃は新宿ホストNo.1だった!2度に渡る命の危機を乗り越えた過去を徹底解説 | かっこいい有名人研究所
ヒロミの若い頃は新宿ホストNo.1だった!2度に渡る命の危機を乗り越えた過去を徹底解説 | かっこいい有名人研究所を詳しくリサーチ! 知っておきたい 重要ポイントを分かりやすく展開します。
ヒロミさんが芸能界デビュー以前に勤めていたホストクラブ。
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そこでのひとり漫談から、本格的に芸能界入りの展開が進んでいく過程についても確認していきましょう。
1986年に「B21スペシャル(びーにじゅういちスペシャル)」と命名されたお笑いトリオで、ヒロミさんは芸人としてデビューします。
ヒロミさんの他にデビット伊東さん、ミスターちんさんからなるメンバーで結成されました。
ルックスのいいメンバーを口説き落とした
アルバイト先のホストクラブで3人は出会いました。
ルックスの良いアイドル志望のデビットさんと、ミュージカル役者&ダンサー志望だったちんさんに声を掛け、お笑いでの芸能界入りを誘ったそうです。
当時は歌舞伎町で働いた後、朝方怖い人たちに追っかけられたりという経験もしながら、3人でコントの練習をするという日々だったと、トリオメンバーのひとりデビット伊東さんの記録がありました。
下積み時代は、歌舞伎町から六本木の「バナナパワー」というショーパブへ移り、酔客を相手にコントを披露して、腕を磨いていたとも記録が残っています。
暴走族でやんちゃなヒロミさんも芸を磨く努力をされていたのですね。
差別化を図るために衣装にこだわった
オシャレ感のない当時の若手芸人らとの差別化を図るため、衣装はDCブランドにしようというのもヒロミさんの発案によるものであったそうです。
確かに、今も昔も若手お笑い芸人は稽古しながら、アルバイトで生計を立て下積み時代を経験し、ブレイク後に芸人として収入が発生するイメージですよね。
当時の一般的なDCブランドの価格帯が、スーツ一着あたり5万円台から。
そして有名ブランドでは8万円台の品物となっていたようです。
デビュー前のヒロミさんも経験したように若手芸人の収入源は主にバイト。
バイト代が10割といっても差し支えない若手芸人生活の中、当時ヒロミさんの発案でDCブランドスーツを揃えてデビューしたわけですから、差別化は大成功だったと言えるでしょう。
現在のお笑い芸人さんたちもスーツ姿が多い印象ですが、ビシッと整えたスーツに身を包みながらふざけたことを言う。
そのギャップが面白さをより引き立てているのではと思います。
大火傷で生死をさまよう
コントグループ「B21スペシャル」は、芸能界に入ると瞬く間にブレイクし、お茶の間の人気者になりました。
ヒロミさんが26歳のころ、レギュラー出演していた深夜のバラエティー番組で事故が起きてしまいます。
内容は、ロケット花火を背負って宇宙に行くという無謀な企画で、ヒロミさんが大量のロケット花火を背負い、人間ロケットとして初挑戦する内容でした。
結局、花火が引火しヒロミさんは全治4週間の大やけどを負います。
当時は、ほとんどのテレビ局がニュースで取り上げる程の大惨事だったといいます。
撮影スタッフが避難してしまうほどの火の勢いとなり、現場が大混乱している様子は動画を検索すれば視聴できます。
芸能界に入る前、18歳のときにバイク事故。
そして、26歳のときにテレビ番組のロケで大怪我。
どちらも生還されていることからヒロミさんは強運の持ち主なのでしょう。