坂本龍馬の愛刀「陸奥守吉行」の真実|焼刃の疑惑と京都所蔵の全貌

坂本龍馬の愛刀「陸奥守吉行」の真実|焼刃の疑惑と京都所蔵の全貌の基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。

「陸奥守吉行」を鍛造した刀工・吉行は、本名を森下平助といい、1650年(慶安3年)頃に陸奥国中村(現:福島県相馬市)あるいは摂津国住吉で生まれたと伝えられています。のちに土佐藩(現在の高知県)に招かれて藩工となり、土佐の地で数々の実用刀を生み出したことから「土佐吉行」とも称されます。

坂本龍馬がこの刀を手に入れた背景には、家族の深い絆がありました。文久元年(1861年)、脱藩を覚悟していた龍馬に対し、坂本家の長兄である坂本権平が秘蔵の家宝として授けたのが陸奥守吉行でした。龍馬は兄への手紙の中で「洛中(京都)の剣客からも大いに褒められた」「これほどの業物は他にない」と自慢しており、生涯肌身離さず愛用したことが記録に残っています。

そして慶応3年11月15日(1867年12月10日)、京都・河原町の近江屋で刺客の凶刃に倒れた際、龍馬がとっさに手を取って応戦したのがこの吉行でした。暗殺者の初撃を鞘ごと受け止めたため、刀身の刃や鞘に傷が残ったという生々しい記録は、幕末の動乱を今に伝える貴重な証言となっています。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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