【検証】西郷隆盛の古写真発見の真相!肖像画と異なる本物の顔に迫る
【検証】西郷隆盛の古写真発見の真相!肖像画と異なる本物の顔に迫るにまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。
私たちが「西郷さん」と聞いて真っ先に思い浮かべる、太い眉と鋭い眼光、がっしりとした顎を持つあのビジュアルは、いかにして誕生したのでしょうか。そこには、明治政府のお抱え外国人技師であったイタリア人画家、エドアルド・キヨッソーネによる巧みな「モンタージュ技法」が存在しました。
西郷隆盛が1877年の西南戦争で自刃した際、政府内には公式な肖像を残す必要が生じました。しかし、本人の写真がどこにもありません。そこで白羽の矢が立ったキヨッソーネは、西郷の血縁者の容貌を掛け合わせるという前代未聞の手法を採用しました。西郷隆盛 写真 キヨッソーネ 肖像画の制作現場において、顔の上半分(目元と額)は従弟である大山巌を、顔の下半分(鼻と口元、顎の輪郭)は実弟の西郷従道をモデルにしてスケッチを重ね、生前の西郷を知る関係者の証言を反映させて完成させたのです。
この肖像画の完成度について、決定的な証言が残されています。明治31年(1898年)、上野恩賜公園に建てられた西郷隆盛像の除幕式に参列した西郷の正妻・糸子(いと)は、像の顔を見るなり次のように呟き、周囲を驚かせました。
「宿主(夫)はこげな顔じゃなか(夫はこんな顔ではありませんでした)」
最愛の妻が放ったこの一言は、キヨッソーネの肖像画がいかに「周囲の記憶と親族の顔から再構築された理想像」であったかを物語る決定的な一次資料として、現在も語り継がれています。