千島樺太交換条約の真相!榎本武揚の決断と北方領土へ続く歴史を徹底解説
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Q1:千島樺太交換条約と日露和親条約の最も簡単な見分け方は?
A1:境界線が引かれた場所に着目してください。「樺太が両国民の雑居地(国境未定)」のままになっているのが日露和親条約(1854/55年)、「樺太をロシア領、千島列島全島を日本領」と完全に交換・確定させたのが千島樺太交換条約(1875年)です。
Q2:条約締結後、樺太や千島に住んでいた先住民族はどうなりましたか?
A2:条約の規定により、現地の住民には3年間の国籍選択権が与えられました。樺太アイヌの人々の多くは日本政府によって北海道(宗谷や江別など)へ強制的に集団移住させられ、千島列島北部の千島アイヌの人々も色丹島へ移住させられるなど、過酷な生活環境の激変と苦難を強いられた歴史的側面があります。
Q3:なぜ日本は日露戦争後に再び樺太の一部を手に入れたのですか?
A3:1904〜1905年の日露戦争に勝利した日本は、講和条約であるポーツマス条約によって、ロシアから「樺太の北緯50度以南(南樺太)」を割譲させました。これにより一時的に千島全島と南樺太の両方を領有することになりましたが、第二次世界大戦の敗戦によって再び南樺太と千島列島の権利を放棄することになりました。