銀座の奥座敷・木挽町通りの真実|歌舞伎座裏の名店と歴史探訪
銀座の奥座敷・木挽町通りの真実|歌舞伎座裏の名店と歴史探訪の要点や背景を丁寧にまとめました。最新トレンドを一目で把握できます。
住所表記としては1951年(昭和26年)の町名変更によって「銀座東」となり、その後の住居表示整理で「銀座」へと統合されたため、現在の公的な地図上に「木挽町」という行政地名は存在しません。しかし、地域住民や古くからの銀座人、そして歌舞伎ファンは親しみを込めて今もこの界隈を木挽町と呼び続けています。
木挽町の由来と歴史は、江戸時代初期の慶長年間に遡ります。江戸城の天下普請(大改築)に際し、全国から集められた大鋸(おが)で材木を挽き割る職人「木挽(こびき)」たちが幕府から土地を拝領し、居住区を構えたことが街名の起こりとされています。その後、職人街から武家屋敷や能楽の観世流・森田流の屋敷が立ち並ぶ格式ある街へと変遷しました。
明治22年(1889年)、この地に歌舞伎座が開場したことで街の性格は決定的なものとなりました。芝居小屋の発展に伴い、役者や観客、劇評家、文人墨客が集う料亭や茶屋が軒を連ね、独特の「芝居町情緒」と「粋(いき)の美学」が定着したのです。現在も地下鉄直結の木挽町広場や通り沿いの名店街には、その豊かな文化土壌が色濃く息づいています。