昭和の怪優・萬屋錦之介の壮絶人生|借金13億と闘病の真相
昭和の怪優・萬屋錦之介の壮絶人生|借金13億と闘病の真相の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。
萬屋錦之介の私生活は、昭和を代表する女優たちとの結婚と破局、そして親族の悲劇が複雑に絡み合った波乱万丈のものでした。彼が生涯で結ばれた3人の女性との関係は、当時の芸能マスコミを常に騒がせました。
最初の妻は、松竹の看板大女優であった有馬稲子です。1961年に「世紀の結婚」として祝福されたものの、家庭内での伝統的な梨園的封建主義や多忙によるすれ違い、妊娠・中絶をめぐる精神的葛藤が重なり、わずか4年後の1965年に離婚。有馬は後に自著で、華やかなスターの影にあった家庭内での苦悩を赤裸々に告白しています。
続いて1966年に再婚したのが女優・淡路恵子でした。淡路は錦之介との間に二男をもうけ、中村プロ倒産による13億円以上の借金返済に奔走。錦之介が重症筋無力症で倒れた際も、懸命な介護で彼を奇跡の復活へ導きました。しかし1987年、錦之介の個人事務所の元宝塚雪組・花組トップスターであった甲にしき(本名:小川にしき)との不倫愛人関係が明るみに出て泥沼の離婚劇へ発展。20年以上にわたる二人三脚の生活は終焉を迎えました。その後、錦之介は1990年に甲にしきと三度目の結婚を果たし、彼女が晩年の咽頭癌闘病を支えて最期を看取ることになります。
また、淡路恵子との間に生まれた息子たちを巡る悲劇も後を絶ちませんでした。三男の小川晃弘は1990年にバイク事故により22歳の若さで早世。四男の小川哲史(元俳優)は、2004年に母・淡路恵子の自宅へ強盗に入り逮捕されるなど金銭トラブルと非行を繰り返し、2015年に刑務所内で病死しました。スターの家庭環境と親子の確執は、昭和芸能史における深い影として記録されています。