栄町0番地は実在する?都市伝説の真相と登記簿が語る歴史の全貌
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なぜ、1番地より手前に位置する「0番地」などという特異な地番を付けざるを得なかったのでしょうか。その深層には、明治という激動の時代に推し進められた近代化政策の歪みが色濃く反映されています。
時計の針を、明治6(1873)年の地租改正まで巻き戻す必要があります。当時、明治新政府は全国の土地を測量し、すべての土地に番号を振って所有者を特定し、地租を徴収する大事業を強行しました。しかし、測量技術が未熟だったことや作業の拙速さから、測量から漏れて公図に記載されない土地が全国各地に大量に発生しました。これらは専門用語で「脱落地(だつらくち)」、あるいは官有地・国有地と呼ばれます。
時を経て、明治中期から大正期にかけて、産業の発展とともに大規模な鉄道敷設や河川改修工事が全国で吹き荒れます。線路を通す、あるいは曲がりくねった暴れ川を直線にするために、既存の土地が大規模に分断・買収されました。この時、かつての脱落地が払い下げられたり、線路敷の端に生じた極小の余剰地を既存の町名へ新たに編入したりする事態が頻発したのです。
土地家屋調査士の解説によると、当時の登記実務では次のようなジレンマが生じていました。
「すでに1番地から整然と番号が割り振られ、権利関係が固まっている街区の『外側』や『起点の手前』に、後から未登記の土地が見つかった場合、安易に全体の番号をずらすことはできません。末尾の番号を振ると飛び地になって位置関係が狂ってしまう。そこで、1番地の前にある土地として例外的に『0番地』を割り振るという実務上の緊急避難措置が取られたのです」
つまり、栄町0番地の誕生理由は、都市計画のダイナミズムと、登記官たちが直面した「既存の地番秩序を守りつつ新たな土地を組み込むための知恵」だったわけです。