かつての「三和町」は現在どうなった?合併の真相と全国4拠点の今を徹底解剖
かつての「三和町」は現在どうなった?合併の真相と全国4拠点の今を徹底解剖について専門的な視点から解説いたします。最新の情報をご覧ください。
地図上から単独の自治体としての名前が消えた最大の要因は、地方自治体が直面した財政基盤の強化と行政効率化を目的とする市町村合併にあります。特に2000年代前半に全国で猛烈な勢いで推進された「平成の大合併」は、各地の三和町のあり方を大きく塗り替えました。
そもそも「三和」という地名は、明治から昭和の町村制施行や合併期において、「3つの村(地区)が調和して1つになる」という融和の願いを込めて名付けられたケースが大半を占めます。歴史的に瑞祥地名(めでたい意味を持つ地名)として広く採用されたため、全国各地に同名の自治体が並立することとなりました。
茨城県猿島郡に位置していた旧三和町(さんわまち)は、2005年9月12日に旧古河市、総和町と対等合併し、新・古河市へと生まれ変わりました。東京通勤圏としての宅地化が進む一方で、インフラ整備と広域行政の一元化が急務となったことが合併の決定打となりました。
一方、西日本に目を向けると、京都府天田郡にあった旧三和町(みわちょう)は2006年1月1日に福知山市などと合併。広島県神石郡の旧三和町(さんわちょう)は2004年11月5日に油木町・神石町・豊松村と合併して現在の神石高原町を形成しました。さらに福島県石城郡にあった三和村は、遡ること1966年の大規模合併により、現在のいわき市三和町(みわまち)として市内の一地区に位置づけられています。