徳川家治の生涯と毒殺疑惑の真相|田沼重用の理由と知られざる実像
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歴代将軍の中でも、徳川家治の女性関係は極めて異例でした。皇族の閑院宮直仁親王の娘である正室・心祥院五十宮(いそのみや)を深く愛し、側室を持つことを長く拒み続けたと伝えられています。将軍が正室のみと仲睦まじく過ごすことは、大奥の慣例や世継ぎ確保の観点からは極めて異例の事態でした。
しかし、正室との間に生まれた長女・千代姫がわずか2歳で夭折。後継ぎを強く望む大奥上層部や周囲の説得を受け、ようやく迎えたのが側室のお知保の方(蓮光院)とお品の方(養蓮院)でした。お知保の方は前述の徳川家基を産み、お品の方は次男・貞次郎を産みましたが、貞次郎も生後わずか数か月で早世します。
家治の血筋をめぐる家系図と子孫の動向を見ると、実子が全員早世したことにより、徳川宗家の直系(吉宗から続く本流血統)は家治の代で途絶えることになりました。これにより、御三卿・一橋家から養子として迎えられた徳川家斉が第11代将軍に就任することとなったのです。