土下座を超える究極の礼「三跪九叩頭」とは?歴史を変えた絶対服従の真相
土下座を超える究極の礼「三跪九叩頭」とは?歴史を変えた絶対服従の真相の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。
この過酷な礼礼が歴史上最も痛烈な爪痕を残したのが、17世紀の朝鮮半島です。1636年に勃発した丙子の乱 三跪九叩頭を巡る悲劇は、今なお歴史の教訓として語り継がれています。
当時、後金から国号を改めた清朝のホンタイジ(太宗)は大軍を率いて朝鮮へ侵攻。南漢山城に追い詰められた朝鮮王朝第16代国王・仁祖(インジョ)は、厳冬の包囲戦の末に降伏を余儀なくされました。
1637年1月30日、三跪九叩頭の礼 朝鮮仁祖は、漢江沿いの三田渡(サンジョンド)に設けられた受降壇に引き出されます。仁祖は粗末な青衣をまとい、壇上に座す清の太宗に向かって泥にまみれながら三跪九叩頭の礼を行いました。小中華思想を誇り、清を満洲族の「野蛮人」と見下していた当時の朝鮮両班階層にとって、自国の国王が異民族の君主に頭を打ち付ける姿は筆舌に尽くしがたい精神的打撃となりました。
この事件が三跪九叩頭 屈辱 理由の象徴とされる所以は、儀礼だけに留まらず過酷な戦後処理を課された点にあります。昭顕世子(長男)や鳳林大君(次男、後の孝宗)を人質として清へ差し出すことを強いられ、さらに清への忠誠と太宗の徳を称える記念碑を建てるよう命じられました。これが現在もソウル市内に残る三田渡の碑 経緯であり、国家主権が完全に屈服させられた生々しい証跡となっています。