メデューズ号の筏が暴く国家の嘘と人間の闇

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《メデューズ号の筏》がここまで観る者を慄然とさせるのは、これが完全なフィクションではなく、1816年7月に実際に起きた海難事故を直接の題材としているからだ。植民地だったセネガルへ向かうフランス海軍のフリゲート艦メデューズ号は、モーリタニア沖のアルガン礁で座礁した。原因は実に単純で、艦長の能力不足と無責任な指揮判断だった。艦長のユーグ・デュロワ・ド・ショマレは海軍経験が乏しいにもかかわらず、復古王政下のコネで任官した人物だった。座礁後、上級将校や特権階級の乗客は救命ボートで脱出した一方、残された約150人は急造の筏に乗せられ、曳航されるはずだった。しかし曳航索は切れ、筏は漂流を始める。食料も水もほとんどなく、13日間に及ぶ漂流で生き残ったのはわずか15人。その生存の過程で、殺人やカニバリズムが行われたことは、当時の公式記録や生存者アレクサンドル・コレアールとアンリ・サヴィニーの証言によって広く知られることになる。ジェリコーはこの生存者2人に直接取材し、彼らが出版した手記『メデューズ号の筏の難破』を読み込み、さらに生き残った筏の大工に実物大の模型を作らせた。ここまで徹底した一次情報への執着が、この絵の背筋が凍るような写実性を支えている。

特筆すべきは、ジェリコーが遺体安置所に通い、死体の腐敗の色調や切断された四肢までスケッチしたという事実だ。報道各社や美術史の研究資料によると、彼のアトリエは制作期間中、死臭が漂う異様な空間だったと伝えられている。綺麗事では済まない現実を、絵の具の層に閉じ込めたのである。これは単なる「歴史画」の枠を超え、当時のフランス社会が隠蔽しようとしたスキャンダルを視覚化するジャーナリスティックな行為だった。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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