免罪符とは?贖宥状との決定的な違いや現代の正しい使い方を徹底解剖

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贖宥状自体は11世紀末の十字軍遠征の時代から存在し、十字軍への参加や多額の寄付を行った信徒に対して与えられていました。これが16世紀初頭に世界を揺るがす大問題へと発展した背景には、ローマ教皇庁の深刻な財政難と権力者の思惑が絡み合っています。

当時、教皇レオ10世はローマにあるサン・ピエトロ大聖堂の大規模な改築工事を進めており、莫大な建設資金を必要としていました。一方、ドイツ(神聖ローマ帝国)のマインツ大司教アルブレヒトは、複数の高位聖職を兼任するためにフッガー家から多額の借金をしており、その返済資金に困窮していました。両者の利害が一致した結果、贖宥状の大規模な販売キャンペーンがドイツ各地で展開されることになったのです。

販売を委託されたドミニコ会修道士ヨハネス・テッツェルは、民衆の不安を巧みに煽る説教を行いました。当時の記録や証言によると、テッツェルは次のような扇情的な言葉で群衆を買いに走らせたと伝えられています。

「箱の中でコインがチャリンと鳴った瞬間、愛する家族の魂は煉獄の炎から飛び上がり、天国へと昇っていく」

民衆の素朴な信仰心と死後への恐怖を巧みに利用した露骨な金儲けに対し、激しい憤りを覚えたのがヴィッテンベルク大学の神学教授であったマルティン・ルターです。ルターは1517年10月31日、ヴィッテンベルク城教会の扉に「95箇条の論題」を提示し、贖宥状の販売方針に公然と異議を唱えました。「真の悔い改めなしに金銭で魂の救済を買うことはできない」というルターの主張は活版印刷術の普及とともに瞬く間にヨーロッパ全土へ拡大し、のちのプロテスタントを生み出す歴史的激動「宗教改革」の引き金となりました。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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