最高視聴率50.5%!『8時だョ! 全員集合』停電事件と志村けん確執の真相

最高視聴率50.5%!『8時だョ! 全員集合』停電事件と志村けん確執の真相の要点を詳しく解説してご紹介します。

番組の黄金期を語る上で欠かせないのが、1974年3月の荒井注の脱退と、当時見習い・付き人だった志村けんの正式メンバー昇格です。当時、「This is a pen!」「何だバカヤロー」のフレーズで絶大な人気を誇っていた荒井注の脱退理由は、単なる不仲説ではなく、過酷を極めるスケジュールによる肉体的・精神的疲弊でした。

荒井自身、当時40代半ばに差し掛かっており、毎週身体を強打するハードなアクションコントについていけなくなったこと、また元来ジャズピアニスト志向であり「自分はコメディアンではなく音楽家だ」というアイデンティティの揺らぎが背景にありました。脱退に際していかりや長介は慰留を重ねましたが、荒井の決意は固く、後任として指名されたのが付き人として過酷な下積みを続けていた当時24歳の志村けんでした。

志村加入当初の約1年間は、観客や視聴者からの「荒井注を返せ」という冷ややかな反応に苦しみ、極度のスランプに陥ります。しかし1976年、故郷の民謡をアレンジした「東村山音頭」が大ヒットを記録すると形勢は一変。「カラスの勝手でしょ」「ヒゲダンス」と次々に社会現象を巻き起こし、志村は一躍ドリフのエースへと駆け上がりました。

ここでネット上や当時の週刊誌で盛んに囁かれたのが、「いかりや長介と志村けんの確執」です。「独裁的ないかりやに志村が反発した」「ギャラの配分(いかりやが大部分を搾取していたという噂)を巡って口を利かなくなった」といったゴシップが長年独り歩きしました。しかし、後年の自著(いかりや長介著『だめだこりゃ』、志村けん著『変なおじさん』)や関係者の証言を丹念に検証すると、その実情は全く異なるものでした。

二人の間にあったのは、憎しみではなく「笑いに対する妥協なき美学の衝突」です。毎週木曜日のネタ会議において、いかりやは起承転結を重んじる緻密な構成を求め、志村は理屈を超えたナンセンスな疾走感を求めました。志村がいかりやに激しい口調で意見をぶつけることができたのは、いかりやが志村の才能を誰よりも高く買い、会議の場では年齢や序列に関係なく対等に議論を戦わせる度量を持っていたからです。晩年、志村はいかりやの俳優としての活躍を誰よりも讃え、いかりやの葬儀では志村が人目を憚らず号泣した姿が、二人の魂の結びつきを雄弁に物語っています。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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