坂本龍馬の「船中八策」は後世の創作?8箇条の衝撃真相を徹底解説
坂本龍馬の「船中八策」は後世の創作?8箇条の衝撃真相を徹底解説について詳しく解説いたします。専門家の見解をお届けします。
慶応3年6月9日、長崎から兵庫へと向かう土佐藩の蒸気船夕顔丸の船中で、日本の命運を決する密談が交わされました。乗船していたのは、土佐藩参政の後藤象二郎と、脱藩の罪を赦免され海援隊長となった坂本龍馬です。
当時、長州藩と薩摩藩は武力による倒幕路線を急速に推し進めており、一歩間違えれば日本全土が凄惨な内戦に突入し、欧米列強の植民地支配を招きかねない極限の危機にありました。この船中で龍馬が後藤に対して熱弁を振るい、平和裏に幕府体制を終わらせて新しい連邦制議会国家をつくる方策として提示された構想こそが、一般に「船中八策」と呼ばれる基本綱領です。
後藤象二郎はこの提案に深い感銘を受け、土佐藩邸に戻ると直ちに前藩主・山内容堂へと報告しました。容堂はこれをもとに、慶応3年10月3日に徳川第15代将軍・徳川慶喜に対して政権返上を勧告する建白書を提出。わずか11日後の10月14日、慶喜が大政奉還を決断する決定打となりました。
龍馬の構想はゼロから突然生まれた奇抜なアイデアではありません。肥後藩の思想家である横井小楠が提唱した「国是三論」(富国論・強兵論・士道論)の議会制構想や、軍艦奉行・勝海舟から学んだ近代海軍の重要性、万国公法(国際法)の理念を、現実の政局に合わせて極限まで圧縮・洗練させた実践的ロードマップだったのです。