乃木希典の殉死と愚将説の真相|旅順攻防戦と自刃に秘められた真実とは
乃木希典の殉死と愚将説の真相|旅順攻防戦と自刃に秘められた真実とはの要点を分かりやすくまとめてご紹介します。
日露戦争は、乃木家にとっても壊滅的な悲劇をもたらしました。乃木希典と静子の間には二人の息子がいましたが、そのいずれもが満州の戦場で若き命を散らしています。
長男の乃木勝典陸軍少尉は、1904年(明治37年)5月の南山攻略戦において腹部に敵弾を受けて戦死しました。享年25。さらに同年11月、二百三高地の激戦が続く最前線において、次男の乃木保典陸軍少尉もまた頭部に銃弾を浴びて命を落としました。享年23。
二人の愛息を失った乃木は、周囲への配慮から軍人として一切の涙を見せず、冷静に職務を遂行したと伝えられます。息子の相次ぐ戦死によって乃木の直系血統は完全に途絶えることとなりました。自刃にあたって乃木は「乃木家を絶家とせよ」と遺言を残しましたが、その武功を惜しんだ皇室や政府の意向により、後に親族から養子を迎えて家名は再興されました。直系の子孫は現存しないものの、その血脈の記憶は親族の手によって大切に受け継がれています。