普仏戦争とは?ビスマルクの謀略とナポレオン3世失脚の真相を解説
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戦争の直接の契機となったのが、1870年7月に起きたエムス電報事件です。保養地バート・エムスに滞在していたプロイセン国王ヴィルヘルム1世のもとへ、フランス大使が訪れ「将来にわたってスペイン王位に就かない約束」を強硬に迫りました。国王はこれを丁重に拒否し、その経緯をビスマルクへ電報で報告します。
電報を受け取ったビスマルクは、通信文を極めて挑発的な文面へと改ざん・省略しました。フランス大使が国王に無礼な要求をし、国王が大使を冷淡に追い払ったかのように書き換えて新聞へ公表したのです。
この報道を目にした両国の世論は沸騰しました。プロイセン側は「我が国王への侮辱」と激昂し、フランス側は「大使への非礼」に猛反発。世論に押されたナポレオン3世は、1870年7月19日、プロイセンに対して宣戦布告を行いました。プロイセンを被害者の立場に見せかけ、相手から戦争を仕掛けさせるというビスマルクの緻密な外交罠が完全に的中した瞬間でした。