張作霖爆殺事件はなぜ起きた?河本大作の暴走と昭和天皇の怒り
張作霖爆殺事件はなぜ起きた?河本大作の暴走と昭和天皇の怒りの背景について、分かりやすい解説を取りまとめてご紹介します。
関東軍の謀略は、軍事的な面でも政治的な面でも完全な誤算に終わりました。張作霖亡き後、後継者となった息子の張学良(ちょうがくりょう)は、父を殺害した日本への反発を強め、1928年12月に蒋介石の南京国民政府へ合流を宣言しました。これを「易幟(えきし)」と呼びます。
満州全域に青天白日満地紅旗が掲げられたことで、満州は日本の思惑とは正反対に、中国統一政府の管轄下へと組み込まれてしまいました。日本の権益を強引に拡大しようとした暗殺劇は、かえって中国側の抗日ナショナリズムを結束させる結果を招いたのです。
なお、冷戦崩壊後のロシアで公開された機密文書などを根拠に、「事件の真犯人はソ連の特務機関(GRU/NKVD)であり、日本と中国を戦わせるための謀略だったのではないか」とするソ連謀略説が一部の研究者や作家から提起された時期がありました。しかし、河本大作自身が戦後に残した詳細な遺稿や証言、関東軍関係者の一次史料、現地での爆薬調達ルートの記録などが一致していることから、学術的な歴史学界においては「関東軍・河本大作による主導」が揺るぎない歴史的事実として確立しています。