喜多川歌麿の枕絵が放つ魔力とは?名作『歌まくら』と処罰の真相

喜多川歌麿の枕絵が放つ魔力とは?名作『歌まくら』と処罰の真相の疑問点について、最新情報を詳しくお届けします。

しかし、歌麿たちの自由な表現活動は、常に幕府の権力と隣り合わせの危険を孕んでいました。松平定信が主導した「寛政の改革(1787〜1793年)」以降、江戸時代における春画規制の経緯は一段と厳しさを増していきます。風俗紊乱を取り締まる触書が相次いで出され、出版物の検閲は苛烈を極めました。

多くの版元や絵師が筆を鈍らせるなか、歌麿は隠微な仕掛けや地下出版を通じて制作を続けますが、晩年の文化元年(1804年)、ついに幕府の逆鱗に触れる事件が勃発します。

豊臣秀吉の栄華を描いた絵入本『絵本太閤記』を題材に、歌麿が描いた浮世絵が「幕府の祖先(徳川家)を侮辱し、公儀を批判した」とみなされたのです。これこそが喜多川歌麿が手鎖の処罰を受けた理由です。歌麿は両手に手錠をかけられたまま生活を強制される「手鎖50日」という過酷な刑を受けました。この精神的・肉体的打撃はあまりにも大きく、刑期を終えたわずか2年後の文化3年(1806年)、歌麿は失意のうちにこの世を去ることになります。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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