大判焼きの呼び方論争に決着!全国分布マップと発祥の真相【2026】
大判焼きの呼び方論争に決着!全国分布マップと発祥の真相【2026】に関する最新のニュースをまとめてご紹介します。関心のある方は必見です。
全国で繰り広げられる呼び名論争を解き明かす上で、避けて通れないのが大判焼き発祥の地と歴史的ルーツです。文献や歴史的史料を遡ると、このお菓子の原型が誕生したのは江戸時代中期の安永年間(1772〜1781年頃)とされています。江戸・神田の「今川橋」付近にあった店が、小麦粉を水で溶いた生地にあんこを入れて焼き、「今川焼き」として売り出したのがすべての始まりです。
当時、手軽に食べられる庶民のおやつとして江戸市中で爆発的な人気を博した今川焼きは、職人の移動や街道の整備とともに全国へ伝播していきました。では、現在最も一般的な名称の一つである「大判焼き」とは何が違うのでしょうか。両者の決定的な違いは「誕生した時代」と「サイズ」にあります。
「大判焼き」という呼び名が定着したのは、昭和30年代半ばのことです。愛媛県松山市の菓子店が、従来の今川焼きよりも一回り大きな焼き型を特注し、当時大ヒットしていた小説・映画『大番』にあやかって、また「小判」よりも大きな「大判」を想起させる縁起の良さを込めて「大判焼き」と命名しました。この大型サイズが全国の製型機メーカーを通じて普及したことで、「大判焼き」という呼称が全国へと広がったのです。