回答兼刷還使とは?朝鮮通信使との違いや目的・対馬藩の役割を解説
回答兼刷還使とは?朝鮮通信使との違いや目的・対馬藩の役割を解説について徹底解説いたします。最新の情報をチェックしてください。
日朝交渉の最大の推進役であり、同時に綱渡りの工作を仕掛けたのが対馬藩(宗氏)です。耕地に乏しい対馬にとって、朝鮮との貿易再開は藩の死活問題でした。
しかし、朝鮮側は国交回復の条件として「日本から先に謝罪の国書を送ること」「秀吉の王陵墓暴きに関与した戦犯の身柄引き渡し」を強硬に要求します。一方の徳川幕府側も、武家の棟梁としてのメンツがあり、敗者のように先に頭を下げることは拒否しました。
進退窮まった対馬藩主・宗義智(そうよしとも)と外交僧・景轍玄蘇(けいてつげんそ)らは、驚くべき奇策に出ます。幕府の国書を勝手に偽造して朝鮮に送り、さらに朝鮮からの返書も改竄して幕府に提出したのです。
この前代未聞の偽装工作により、朝鮮側は「日本が先に詫びを入れてきた」と認識し、幕府側は「朝鮮が友好を求めてきた」と受け取ることとなり、1607年の第1回回答兼刷還使の来日が実現しました。
さらに1609年には、対馬藩と朝鮮の間で通商協定である「己酉約条(きゆうやくじょう)」が締結されます。これにより釜山に倭館(わかん)が再建され、対馬藩による独占的な日朝貿易ルートが正式に復活しました。(※この偽造事件は1635年の「柳川一件」で露見しますが、幕府は対朝外交の重要性を考慮し、対馬藩の存続を認めました)。