独ソ戦はなぜ起きた?不可侵条約破棄の真相と泥沼の敗因を徹底解説
独ソ戦はなぜ起きた?不可侵条約破棄の真相と泥沼の敗因を徹底解説について押さえておきたい 理由を分かりやすい構成で解説いたします。
1939年8月、世界に衝撃を与えた独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)の締結からわずか2年足らずで、ドイツはその盟約を一方的に踏みにじりました。背後には、アドルフ・ヒトラーが初期から抱き続けていた狂信的な国家構想が存在していました。
ヒトラーの最大の目的は、著書『我が闘争』にも明記されている「東方生存圏(レーベンスラウム)」の獲得でした。アーリア人種が繁栄するためには、東欧およびロシアの広大な沃野と天然資源が不可欠であると信じ込んでいたのです。同時に、ナチズムの根幹である「反共産主義」と「反ユダヤ主義」が結合した結果、ソ連という国家そのものを地球上から抹殺すべき敵と位置づけていました。
軍事・経済的な現実問題も侵攻を後押ししました。西欧を席巻したドイツ軍でしたが、海を隔てたイギリスの屈服には失敗します。長期戦を見据えた際、ドイツのアキレス腱となったのが石油や穀物といった戦略物資の不足でした。ソ連南部カフカス(コーカサス)地方の油田地帯とウクライナの穀倉地帯を手中に収めることは、ヒトラーにとって戦争継続のための至上命題だったのです。
一方、ヨシフ・スターリン率いるソ連側は、ドイツとの衝突がいずれ起こることを予期しつつも、「1942年までは本格的な開戦はない」と誤認していました。イギリスからの度重なる事前警告も「独ソを戦わせようとする西側の謀略」と切り捨て、国境付近の防備が不十分なまま開戦初日を迎えることとなりました。