江戸時代の性文化と驚きの実態|吉原遊郭から庶民の性愛まで徹底解明

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江戸の性風俗を語る上で欠かせないのが、幕府公認の遊廓である吉原遊郭です。慶長17年(1612年)、初代・庄司甚右衛門の請願により日本橋近くに誕生し、明暦の大火後に浅草裏の「新吉原」へと移転しました。幕府が遊郭を一箇所に集めて公認した最大の理由は、治安維持と防犯統制にあります。地方から流入する浪人や犯罪者の潜伏を防ぎ、風紀の乱れを隔離された郭(くるわ)の中に閉じ込めて監視・徴税することが狙いでした。

吉原は単なる売買春の場ではなく、最高峰の芸事や流行を発信する巨大な文化サロンとして機能していました。遊女には厳格な階級制度が存在し、最上位の太夫(のちに花魁)に会うためには莫大な費用と教養が求められました。客は揚屋(あげや)を通して遊女を呼び出しますが、初会(1回目)や裏(2回目)では床を共にできず、3回目の「馴染み」になってようやく契りを交わせるという複雑なしきたりが敷かれていたのです。

豪商や大名が遊女を借金ごと買い取って妻や妾に迎える「身請け(落籍)」には、現在の貨幣価値で数千万円から1億円以上に相当する大金が動きました。吉原は富と格式、粋(いき)を競い合う男たちの見栄の張り場でもありました。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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