ルイ17世は本当に生きていた?Dna鑑定が明かした死因と生存説の真相
ルイ17世は本当に生きていた?Dna鑑定が明かした死因と生存説の真相について見逃せない ポイントを厳選して解説いたします。
引き離された王子に宛がわれた「教育係」は、狂信的なサン・キュロット(革命派の庶民)であった靴職人アントワーヌ・シモンでした。革命政府から下された命令は「王子の尊大さを叩き潰し、善良な共和国市民に改造すること」という名目の洗脳工作でした。
シモン夫妻が行ったのは、教育とは名ばかりの心身に対する破壊行為でした。手記や当時の監視記録によると、王子は以下のような凄惨な扱いを受けていたことが判明しています。
・毎日のように激しい罵声を浴びせられ、労働者風の粗末な服と赤いフリジア帽の着用を強制される
・口汚い下品な俗語や革命歌『ラ・カルマニョール』を歌わされる
・強い酒を無理やり飲まされ、酩酊状態にさせられる
・母マリー・アントワネットを侮辱する言葉を繰り返すよう強要される
最も陰惨だったのは、母マリー・アントワネットの裁判における偽証の強要でした。シモンらは幼い王子を脅迫・誘導し、「母と叔母から近親相姦の行為を強要された」という虚偽の供述書に署名させました。王妃はこの濡れ衣に対し、「母の自然な感情として、このような不実な告発に答えることを拒絶します。ここにいるすべての母親たちに訴えかけます」と法廷で涙ながらに訴えましたが、1793年10月に処刑台へと送られました。
1794年1月にシモン夫妻がタンプル塔を去ると、事態はさらに悪化します。ルイ17世は窓を板で塞がれた完全な暗室に閉じ込められ、食事は鉄格子の隙間から差し入れられるだけの「完全なネグレクト(放置)」状態に置かれました。掃除も入浴も許されず、排泄物とノミやシラミが蔓延する悪臭漂う独房の中で、少年の肉体と精神は限界を迎えていきました。