賤ヶ岳七本槍で唯一大名になれなかった男・平野長泰の数奇な生涯
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天正11年(1583年)の賤ヶ岳の合戦において、一番槍の武功を立てた七人の若武者たち。その中で、平野長泰だけが大名(一般に1万石以上)の座に就けず、5000石の大身旗本で生涯を終えた事実は、長年戦国史のミステリーとして語り継がれてきた。
武功に劣っていたわけではない。最新の古文書照合によって、豊臣秀吉が長泰の軍事的実力と忠義を高く評価しつつも、あえて「側近・旗奉行」として手元に留め置いた実態が判明している。地方の城主として分散させるのではなく、政権の中枢を警護し、重要な使者や儀礼を取り仕切る実務官僚兼護衛指揮官としての適性を重視したためだ。
領地を急激に広げれば、それだけ軍役の負担や家中統制のリスクを背負い込むことになる。結果的に一国一城の主にはなれなかったものの、政権の直近で権力中枢の力学を肌で学び続けた経験こそが、のちに訪れる徳川の時代への架け橋となった。