台湾が愛した八田與一(興一)の功績と生涯!今なお英雄視される理由

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八田與一は1886年(明治19年)、石川県河北郡花園村(現在の金沢市)の農家に生まれました。幼少期から聡明で知られた彼は、旧制第四高等学校を経て東京帝国大学工科大学土木工学科へと進学します。当時の日本は近代化の真っただ中にあり、土木技術は国家基盤を支える最先端の花形分野でした。

1910年に大学を卒業した八田は、創設間もない台湾総督府土木局の技手として海を渡ります。当時の台湾はマラリアなどの風土病が蔓延し、衛生環境やインフラの整備が急務とされていました。八田はまず各地の衛生水道工事や発電所建設の調査に従事し、現場第一主義の若きエリート技師として頭角を現していきます。

そして彼の運命を決定づけたのが、台湾南西部に広がる広大な「嘉南平野」の視察でした。見渡す限りの平野でありながら、乾季には大地が干からびてひび割れ、雨季には洪水に見舞われる過酷な環境に衝撃を受けた八田は、この地に恒久的な水路網を張り巡らせるという前代未聞の巨大構想を抱くことになります。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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