廃線から変貌した三木鉄道記念公園の現在|保存車両と転車台の遺構を追う
話題沸騰中の 廃線から変貌した三木鉄道記念公園の現在|保存車両と転車台の遺構を追うについて、多角的な視点を整理して公開しています。
大正時代初期の1916年、播州鉄道として産声を上げたこの路線は、播州三木の大工道具をはじめとする金物製品や農産物の輸送、住民の通勤通学の足として播磨内陸部の発展を支え続けました。国鉄三木線を経て1985年に第三セクター「三木鉄道」へと転換したものの、モータリゼーションの急速な進展、神戸電鉄粟生線や高速バスとの競合により、輸送人員は年々減少の一途をたどりました。
赤字補填が自治体財政の重荷となる中、2006年の三木市長選挙において路線存廃が争点となり、運行継続にかかる年間約1億円超の公費負担解消を掲げた新市長が当選。徹底した議論の末、2008年3月31日の運行をもって営業を終了しました。これが三木鉄道の廃線理由の根本にある構造的な背景です。
多くの赤字ローカル線が廃止後に線路を撤去され、跡地を道路や分譲住宅地へと転用される中、三木市は旧駅周辺の歴史的価値に着目しました。かつての金物産業を運んだ鉄路の記憶を後世に伝えるべく、三木市主導のもとで旧三木駅舎跡地の公園化プロジェクトが始動。2010年6月、鉄道の記憶を未来へ手渡す憩いの場として三木鉄道記念公園が開園しました。