3月31日は何の日?退職の落とし穴と誕生花・年度末の歴史を徹底解剖
3月31日は何の日?退職の落とし穴と誕生花・年度末の歴史を徹底解剖について見逃せない 事実を厳選して解説いたします。
3月31日を取り巻く制度の中には、長年まことしやかに誤解され続けている法的な盲点が2つ存在します。それが「早生まれの定義」と「なぜ日本の年度末は3月31日なのかという歴史的経緯」です。
「4月1日生まれ」が前学年に組み込まれる法的根拠
学校教育の現場で、1月1日から4月1日までに生まれた子どもは「早生まれ」と呼ばれ、前年の4月2日から12月31日生まれの子どもと同じ学年になります。ここで誰もが一度は抱く疑問が、「なぜ4月1日生まれまでが前の学年なのか? 新年度は4月1日から始まるはずではないのか?」という点です。
この答えは、明治35年に制定された「年齢計算ニ関スル法律」と民法第143条にあります。日本の法律上、人は「誕生日の前日が終了する時(午後12時)」に年齢が加算されると規定されています。これを具体的に当てはめると次のようになります。
- 3月31日生まれの人:3月30日の午後12時(24時)をもって満年齢に達する。
- 4月1日生まれの人:3月31日の午後12時(24時)をもって満年齢に達する。
そして学校教育法第17条では、保護者は「子が満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから就学させる義務を負う」と定められています。学年の初めは4月1日です。4月1日生まれの子どもは、「3月31日午後12時に満6歳に達している」ため、その翌日である「4月1日」から始まる新しい学年に就学しなければなりません。ネット上では「4月1日はエイプリルフールだから例外」といった荒唐無稽な都市伝説が散見されますが、厳密な民法の期間計算と教育行政の法体系が導き出した論理的な帰結なのです。
なぜ日本の会計年度は「3月31日締め」になったのか?
欧米諸国の多くが12月決算(1月〜12月年度)を採用している中、なぜ日本政府や上場企業の多くは「4月始まり・3月31日終わり」を死守しているのでしょうか。
その原点は、明治維新後の税制改革、とりわけ1873年(明治6年)の「地租改正」に遡ります。明治政府の初期は7月始まりや1月始まりなど財政年度が二転三転していましたが、1886年(明治19年)に「4月1日〜翌年3月31日」へと恒久化されました。
当時の国家財政の主軸は、農民が納める「地租(地価に応じた現金税)」でした。秋に収穫された米を農民が市場で換金し、地方官庁を経て国庫に地租が納められるのが翌年の1月から3月にかけてでした。当時の大蔵省(現在の財務省)は、米の換金による税収が完全に確定してから新年度の国家予算を編成・執行する必要があったため、年度末を3月31日に設定したのです。農業社会から工業・IT社会へと産業構造が完全に転換した現在でも、一度構築された官公庁の予算サイクルと商慣行がそのまま残り、現代のビジネスパーソンを3月31日の決算激務へと駆り立てています。