聖徳太子が建てた寺の真相|法隆寺・四天王寺など建立七大寺を徹底解説
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平安時代中期の文献『聖徳太子伝暦』などに記され、定説として定着したのが「聖徳太子建立七大寺(聖徳太子建立七寺)」の伝承です。一般には法隆寺と四天王寺があまりにも有名ですが、太子ゆかりの官寺・氏寺は近畿一円にネットワークのように張り巡らされていました。
具体的に数えられる七寺の内訳は、法隆寺(斑鳩寺)、四天王寺、中宮寺、橘寺、広隆寺(蜂岡寺)、法起寺(岡本寺)、そして現在は廃寺となっている葛木寺(葛木尼寺)です。
現存する6つの寺院は、今なお飛鳥・白鳳時代の空気を色濃く残しています。京都最古の寺とされる広隆寺は渡来人系氏族の秦河勝(はたのかわかつ)が太子から仏像を賜って建立したと伝わり、橘寺は太子の生誕地とされる地に営まれました。また、法起寺と中宮寺は太子の死後、その遺言や所縁の宮殿を寺院へと改修した性格を持ちます。
唯一現存しない葛木寺についても、奈良県御所市周辺の「朝妻廃寺跡」や香芝市の「尼寺廃寺跡」がその比定地として奈良文化財研究所などの発掘調査で検証されており、単なる架空の伝説ではなく、7世紀前半の飛鳥時代に確実に大寺が存在した考古学的痕跡が確認されています。