孤高の画家・高島野十郎の真実|代表作『蝋燭』と没後再評価の謎

孤高の画家・高島野十郎の真実|代表作『蝋燭』と没後再評価の謎にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

高島野十郎(本名・弥寿)は1890(明治23)年、福岡県久留米市の裕福な酒造家に生まれました。兄は詩人・実業家として知られる高島宇朗です。幼少期から学問に秀でていた野十郎は、第八高等学校を経て東京帝国大学農科大学水産学科へ進学。1916年には同科を首席で卒業し、恩師から嘱託研究員への誘いを受けるなど将来を嘱望されていました。しかし彼はその将来をあっさりと辞退し、独学で絵画に打ち込む道を選びます。

当時の洋画界は、文展(官展)や二科展などの美術団体に所属して名声を得ることが画家としての王道でした。しかし、野十郎は自らの美意識を純粋に保つため、派閥争いや審査会が存在する画壇のヒエラルキーに一切加わりませんでした。「絵を描くことは神を祈ることに等しい」という強い信念のもと、わずかな知人の支援と個展での絵画頒布だけで糊口をしのぐ生活へ身を投じたのです。

1930年代には単身で欧州へ渡航し、フランスやドイツ、イタリアなどを巡って西洋古典絵画の技法と精神性を吸収。帰国後も太平洋戦争の混乱をくぐり抜けながら、世間の流行やアヴァンギャルド運動には目もくれず、自らの網膜と精神だけを頼りに絵筆を握り続けました。そのストイックな歩みこそが、「孤高の画家」と呼ばれる由縁となっています。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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