「これやこの」蝉丸の名歌が秘めた真実!逢坂の関と作者の正体を解剖
「これやこの」蝉丸の名歌が秘めた真実!逢坂の関と作者の正体を解剖の要点を分かりやすくまとめてご紹介します。
百人一首の第10番として誰もが知るこの和歌の真髄は、都と東国を隔てる境界線において、無数の人々の人生が一瞬だけ交錯する「刹那のドラマ」にあります。まずは、歌の全体像を掴むために確定的な現代語訳を確認しておきましょう。
【和歌】
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
(これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき)
【百人一首これやこの現代語訳】
「これがあの噂に聞いていた、東国へ旅立つ人も都へ帰る人も、ここで別れてはまた逢い、知っている人も見知らぬ人も行き交って出会うという、逢坂の関なのだなあ」
この歌が人々の胸を打つ最大の要因は、「行くも帰るも別れてはの現代語訳」が示す通り、上りと下りという相反する方向へ進む旅人たちの対比です。旅立つ者にとっては住み慣れた都との悲しい別れの場であり、帰着する者にとっては過酷な旅路を終えて安堵する再会の場でもありました。さらに「知るも知らぬも逢坂の関の解説」を深めると、親しい知己同士の情愛だけでなく、偶然袖をすり合わせる見ず知らずの赤の他人までもが、この狭い関所ですれ違うという、圧倒的な人間社会の広がりが描かれていることが分かります。
逢坂の関に込められた意味と真相を探ると、当時の交通事情が鮮明に浮かび上がります。逢坂の関(現在の滋賀県大津市逢坂付近)は、山城国(京都)と近江国(滋賀)の境に位置し、東海道・東山道・北陸道へ向かうすべての旅人が必ず通過しなければならない交通の要衝でした。物理的な関所であると同時に、「逢ふ」という言葉が織り込まれたこの場所は、平安貴族にとって単なる地理的境界を超えた「運命が交差する精神的なトポス(場所)」として機能していたのです。