『スーホの白い馬』結末の真相とは?馬頭琴の由来と涙の教訓を徹底解剖
『スーホの白い馬』結末の真相とは?馬頭琴の由来と涙の教訓を徹底解剖とはどんな影響があるのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。
ネット上のQ&AサイトやSNSでは、「スーホは歴史上実在した人物なのか」「なぜ殿様はあそこまで理不尽で残忍な行動を取ったのか」といった議論が定期的に巻き起こる。そこには、現代的な視点ゆえの誤解が少なくない。
誤解1:スーホと白馬の物語はそのまま「実話」である?
「モンゴルに実在したスーホ少年の実話」と信じている読者も多いが、結論から言えば本作は民俗学的な「起源説話(民話)」の再話である。モンゴル全土にはモリンホール(馬頭琴)の誕生にまつわる多様な口承説話が存在する。モンゴル国(外モンゴル)で最も広く知られているのは「フフー・ナムジル(緑の服のナムジル)」と呼ばれる青年の伝説だ。ナムジルが夜な夜な天を駆ける翼を持った名馬に乗って愛する女性のもとへ通っていたが、嫉妬した別の女性に翼を切り落とされ、墜死した愛馬の骨と毛で楽器を作ったという怪異譚である。
一方、私たちが親しんでいる『スーホの白い馬』は、中国・内モンゴル自治区出身の作家チョイジルスレン(朝格吉勒図)らが1950年代にまとめた民話記録をもとに、中国の児童文学者・チノーラが書き起こしたテキストが出典となっている。大塚勇三はこのテキストに感銘を受け、日本の児童に向けて無駄な装飾を削ぎ落とした格調高い文学へと昇華させた。つまり、完全な一個人のノンフィクションではなく、遊牧民が数百年語り継いできた馬への思慕と、封建社会の辛酸が重なり合って結晶化した叙事詩なのである。
誤解2:殿様の身勝手すぎる行動の背景にあった「身分制の壁」
競馬大会で優勝したスーホに対し、殿様が「羊飼い風情が」と嘲笑し、白馬を力づくで奪い取った場面は、現代人の倫理観から見れば狂気の沙汰にしか見えない。しかし、清朝支配期から20世紀初頭にかけてのモンゴル社会(旗制度下)において、領主層である「ノヤン(殿様・貴族)」と、隷属的立場にあった一般牧民「アルバトゥ」の間には絶対的な身分秩序が存在していた。
当時の封建領主にとって、貧しい遊牧民の持ち物は自らの所有物同然であり、名馬を取り上げることや反抗的な平民を鞭打つことは日常茶飯事の権力行使であった。殿様が白馬に矢を射ち殺させたのも、単なる短気ではなく「自らの権威に従わぬ存在は徹底的に抹殺する」という専制君主の冷徹な論理が働いていたからにほかならない。絵本の挿絵を描いた赤羽末吉は、第二次世界大戦中に旧満州(現在の中国東北部)や内モンゴルに滞在し、草原の風土と当時の社会構造を肌で知っていたからこそ、殿様の肥え太った傲慢さと冷酷さをリアリティ豊かに描き切ることができたのである。