白村江の戦いはなぜ惨敗したのか?中大兄皇子の決断と古代日本の奇跡
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日本史の授業で誰もが耳にする白村江の戦いの読み方は、一般的に音読みで「はくそんこうのたたかい」、訓読みでは「はくすきのえのたたかい」と呼ばれます。いずれも同じ戦いを指しており、教科書や学術書では両方が併記されるケースが主流です。また、白村江の戦いの年号は西暦663年(天智天皇2年)。大化の改新(645年)から18年後、国内の権力集中を進めていた最中の大事件でした。
当時の東アジアは、中華統一を果たした超大国・唐が勢力を急拡大させ、朝鮮半島へ強烈な圧力をかけていた動乱期です。新羅は唐と同盟を結び(唐・新羅連合軍)、660年に百済の王都・泗沘(サビ)を陥落させて百済を滅亡へと追い込みました。
滅亡した百済の遺臣たちは、倭国に滞在していた百済の王子・豊璋(ほうしょう)の帰国と軍事支援を熱望します。この要請を全面的に受け入れ、海を渡って巨大帝国・唐との直接対決に踏み切ったことが、古代日本を未曾有の国難へと巻き込む引き金となりました。