徳川と豊臣の覇権を刻む伏見櫓の謎!最新調査で暴かれた移築の真相

徳川と豊臣の覇権を刻む伏見櫓の謎!最新調査で暴かれた移築の真相の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。

現存する遺構の中で、白眉と呼ぶべき存在が福山城 伏見櫓である。関ヶ原以降、西日本の外様大名たちに睨みを利かせるため、家康の従兄弟である知勇兼備の猛将・水野勝成が備後福山へ送り込まれた。彼に与えられたのが、伏見城からの選りすぐりの建築部材だった。

三層三階の壮大なスケールを誇るこの櫓は、城郭建築の最高峰と評される。「福山城築城400年記念事業」を契機に周辺の整備と再評価が一気に進んだが、櫓の白壁を見上げると、勝成が背負った「西国の重鎮」としての凄まじいプレッシャーが肌に伝わってくるようだ。意匠には桃山文化特有の華やかさが残りつつも、二重三重に張り巡らされた鉄壁の防御機構が同居している。

「単なる地方の支城櫓とは格が違う」。訪れた誰もが口を揃える圧倒的なオーラは、まさに伏見城の魂がそのまま瀬戸内の要衝へ移植されたことの証明だ。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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