荒木村重はなぜ信長を裏切り妻子を捨てたのか?逃亡と数奇な余生の真相
荒木村重はなぜ信長を裏切り妻子を捨てたのか?逃亡と数奇な余生の真相について詳しく解説いたします。専門家の見解をお届けします。
反旗を翻した村重が拠点としたのが、現在の兵庫県伊丹市に位置する有岡城(伊丹城)です。この城は城下町全体を堀と土塁で囲い込んだ日本屈指の「総構え(そうがまえ)」を誇る堅城であり、信長の大軍を迎え撃つための万全の防衛体制が敷かれていました。
この戦局において最大のハイライトとなったのが、羽柴秀吉の参謀であった黒田官兵衛(孝高)の単身乗り込みです。官兵衛は旧知の仲であった村重を説得し、無血開城を促すために有岡城へ入城しました。しかし村重は説得に応じず、官兵衛を処刑する代わりに城内の狭隘な土牢へと幽閉します。約1年間に及ぶ幽閉生活により、官兵衛は膝の自由を失い、頭髪が抜けるほどの凄惨な環境に耐え忍ぶこととなりました。
信長は激怒し、官兵衛が寝返ったと誤認してその嫡男・松寿丸(後の黒田長政)の処刑を命じますが、竹中半兵衛の機転によって命は救われます。有岡城は信長の総攻撃をことごとく撃退し、戦いは異例の長期戦へと突入していきました。