「怪傑ハリマオの歌」三橋美智也の名曲秘話と実在モデル谷豊の真相

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テレビの中のハリマオは、真紅の衣装に身を包み、サングラスと白いターバンで正体を隠した正義の味方でした。しかし、そのキャラクター設定の根底には、大正から昭和初期の激動のアジアに実在した日本人青年、実在モデル 谷豊の壮絶な生涯が存在します。

1911年(明治44年)、福岡県筑紫郡(現・福岡市南区)に生まれた谷豊は、幼少期に両親とともに英領マレー(現在のマレーシア)へ移住し、トレンガヌ州の現地コミュニティで育ちました。現地の言語と文化を完璧に身につけた谷でしたが、1931年、満州事変勃発のあおりを受けた現地での反日暴動に巻き込まれ、理髪店を営んでいた最愛の妹・静子が暴徒によって斬首・殺害されるという凄惨な悲劇に見舞われます。

この事件を機に、イギリス植民地政府の司法対応に絶望した谷豊は、現地の仲間たちとともにジャングルへ潜伏。イギリス人の高官や華僑の富裕層のみを標的とし、奪った金品を貧しいマレー人農民たちに分け与える義賊集団を率いるようになります。地元民から深い畏敬と親愛を込めて呼ばれた名が、マレー語で「虎」を意味するマレーの虎(ハリマオ)でした。

その後、太平洋戦争の開戦が迫る中、大本営陸軍参謀本部の特務機関である「F機関」(藤原岩市少佐率いる情報工作機関)が谷豊の卓越した現地工作能力に着目。谷は日本軍の秘密工作員として召募され、英軍の後方攪乱や通信網遮断、インフラ工作などの危険な特殊任務に身を投じます。しかし、マレー作戦の成功を見届けた直後の1942年3月、谷は重度のマラリアに罹患。わずか30年の波乱に満ちた生涯を、シンガポールの野戦病院で静かに閉じることとなりました。

直木賞作家・山田風太郎が戦時中に書いた実録小説などを経て、宣弘社が映像化した際、谷豊の悲劇的な軍事工作員の側面は完全に脱色され、子どもたちが無邪気に憧れることのできる無国籍アクションヒーローへと昇華されたのです。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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