両国回向院の真実|鼠小僧の削り石とペット供養・相撲発祥の謎
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回向院の歴史を紐解く上で外せないのが、明暦3年(1657年)に江戸の町を焼き尽くした「明暦の大火(振袖火事)」です。死者10万人以上とも伝えられるこの未曾有の災禍において、身元不明の遺骸や引き取り手のない犠牲者が隅田川東岸のこの地に運ばれました。第4代将軍・徳川家綱は、これら無縁仏の手厚い供養を命じ、「万人塚」を築かせます。この地に建立された草庵が、現在の回向院の始まりです。
寺号である「回向院」には、自らの善行の功徳を他に回し向けるという意味が込められています。開山当初から特定の檀家制度に依存せず、貴賤や宗派、さらには人間と動物の垣根さえ越えて供養を行う「有縁無縁・無縁慈悲」の精神は、当時の封建社会において極めて先進的なものでした。
江戸中期になると、回向院は庶民文化の中心舞台としても脚光を浴びます。その代表例が「勧進相撲」です。寺社の維持・修復資金を集める目的で始まった相撲興行は、天明年間から回向院の境内で定期的に開催されるようになり、天保4年(1833年)以降は明治終盤まで相撲興行の定場所として定着しました。明治42年(1909年)に境内に旧両国国技館が建設された歴史からも、回向院が名実ともに「相撲発祥の地」として大相撲の近代化を支えた揺るぎない聖地であることが分かります。境内奥にそびえる巨大な「力士碑」には、歴代の名横綱や相撲関係者の魂が刻まれており、現在も角界関係者の参拝が絶えません。