背広の語源はサヴィルロウか?明治の歴史と諸説の真相を徹底解明

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洋服の導入期において決定的な役割を果たしたのが、明治維新前後の啓蒙思想家たちでした。特に福澤諭吉は、慶応3年(1867年)に刊行したベストセラー『西洋衣食住』のなかで、西洋の衣服や生活様式を日本人にわかりやすく図解入りで紹介しました。

福澤はこの著書のなかで、洋服の上着を「胴着」「筒袖」など当時の日本人に伝わりやすい言葉で説明しており、この時期にはまだ「背広」という確定した単語は一般化していませんでした。しかし、明治時代に入ると急速に仕立て屋(テーラー)が横浜や銀座に誕生し、洋装が広がる過程で「背広」という漢字表記が文献に登場し始めます。

記録によると、明治10年代(1880年前後)の新聞広告や風俗記録において「背広服」という文字が散見されるようになります。日本の伝統的な着物は、反物の幅(約36〜38cm程度)の都合上、背中の中心に「背縫い」と呼ばれる縫い目が入るのが基本でした。一方、立体裁断で作られた西洋のジャケットは背中のパーツがゆったりと広く裁断されており、背面の布幅が格段に広く見えました。この視覚的な特徴を捉え、「背幅の広い服=背広」と直感的に名付けられたのが漢字表記の直接的なルーツです。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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