麻生太郎の現在と権力の深層|家系図・莫大な資産と派閥の真実

麻生太郎の現在と権力の深層|家系図・莫大な資産と派閥の真実の基本情報から最新動向までをわかりやすく整理しました。

世襲のエリート政治家という記号だけで麻生太郎氏を捉えると、その特異な人間的バイタリティを見誤ることになります。その若い頃の経歴は、歴代首相のなかでも群を抜いて破天荒かつ活動的です。

学習院大学政経学部を卒業後、米国スタンフォード大学大学院および英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に留学。帰国後は家業である麻生セメント(現・株式会社麻生)に入社しますが、同氏が自ら志願して赴いたのはアフリカ・シエラレオネ共和国の鉱山開発現場でした。内乱の火種が燻る過酷な現地でマラリアに罹患しながらも採掘事業の指揮を執った経験は、後年の国際外交における物怖じしない胆力へと繋がっています。

また、スポーツ界における実績も特筆に値します。1976年、麻生氏は35歳でモントリオールオリンピックのクレー射撃(スキート種目)日本代表として出場を果たしました。全日本選手権での優勝歴を持ち、国家を代表して極限の集中力を争ったトップアスリートとしてのバックグラウンドは、勝負どころの勘や修羅場に対する耐性を培う土壌となりました。

1979年に衆議院議員初当選を果たした後は、経済企画庁長官、政調会長、総務大臣、外務大臣と重要閣僚を歴任。2008年には第92代内閣総理大臣に就任します。在任中に発生したリーマンショックという百年に一度の金融危機に対し、定額給付金の支給や大規模な財政出動、エコポイント制度の創設などを即座に断行。当時の民主党による激しい批判を浴びて政権交代を許したものの、その経済危機対応の手際の良さは、後年になって国際機関や海外メディアから「日本を最悪の連鎖倒産から救った英断」として再評価されることになります。さらに第2次安倍政権では約8年9カ月にわたり財務大臣を務め、戦後最長記録を打ち立てました。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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