三越包装紙はやなせたかし作?猪熊弦一郎との知られざる共作の真相
三越包装紙はやなせたかし作?猪熊弦一郎との知られざる共作の真相の詳細について、最新情報を詳しくお届けします。
終戦からわずか5年後の1950年(昭和25年)、三越は他社に先駆けた新しい試みとして、オリジナルの包装紙を導入するプロジェクトを立ち上げました。当時の百貨店業界では無地のクラフト紙や単色印刷の簡素な包み紙が主流であり、独自の包装紙を作るという発想自体が極めて前衛的な挑戦でした。
図案の制作を依頼されたのは、当時すでに洋画壇の旗手として名を馳せていた猪熊弦一郎氏です。猪熊氏は千葉県の犬吠埼を散策していた際、海岸に転がる波に洗われた石の丸みにインスピレーションを受け、「自然の温もりと未来への希望」を表現した抽象モチーフを描き上げました。これが名作「華ひらく」の骨格となります。
この歴史的プロジェクトの現場で進行管理を担当していたのが、当時三越宣伝部にグラフィックデザイナーとして在籍していたやなせたかし(本名:柳瀬嵩)氏でした。旧制高知城東中学校を経て東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)図案科を卒業したやなせ氏は、戦後、高知新聞社などを経て三越に入社。社内報の編集やチラシ制作、ショーウィンドウの装飾などを手掛け、デザインの腕を磨いていました。