平民宰相・原敬はなぜ暗殺されたのか?東京駅凶行の真相と歴史の教訓

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原敬内閣が日本憲政史において「初の本格的政党内閣」と呼ばれる理由は、内閣総理大臣が衆議院の第一党を率いる党首であり、陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣の3名を除くすべての閣僚を立憲政友会の所属代議士で固めた点にあります。

1918年(大正7年)、富山県の漁村から始まった「米騒動」は瞬く間に全国へ飛び火し、軍隊が出動する暴動へと発展しました。この未曾有の内政危機によって、長州藩閥の領袖であった寺内正毅内閣は総辞職を余儀なくされます。元老・山県有朋は政党勢力への政権移譲を極度に嫌っていましたが、燃え盛る民衆の怒りを鎮めるには、大衆に人気の高い原敬に大命降下させる以外に選択肢が残されていませんでした。

政権の座に就いた原敬は、国家の近代化を一気に押し進めるべく「四大政綱」を掲げました。

1. 高等教育機関の拡充:大学令を公布し、官立大学の新設のみならず、慶應義塾や早稲田などの私立専門学校の大学昇格を公認。
2. 交通・通信網の整備:改正鉄道敷設法を成立させ、地方と中央を結ぶ全国的な鉄道ネットワークの拡張を推進。
3. 産業および貿易の振興:第一次世界大戦後の戦後恐慌に対処し、港湾整備や電話網の拡充を断行。
4. 国防の充実:国際協調を掲げつつ、軍備の近代化と国境防備を再編。

しかし、この強力な政策推進は「我田引鉄(がでんいんてつ)」と呼ばれる激しい批判にさらされることになります。全国津々浦々に鉄道を敷設する計画は、立憲政友会の支持基盤である地方の地主や商業者への露骨な利益誘導として機能したためです。道路や鉄道の利権を党利党略に配分する政治手法は、政党の勢力を拡大させた一方で、都市部の中産階級や知識人層の反発を急速に招く温床となりました。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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