三笠宮崇仁親王の真実|学者肌の宮様と百合子妃が紡いだ激動の百年
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大正天皇と貞明皇后の間に生まれた4人の親王のうち、最も長く生き、百歳の天寿を全うしたのが三笠宮崇仁親王です。幼称は澄宮(すみのみや)、お印は若杉(わかすぎ)。1935年に成年を迎えた際、奈良の三笠山にちなんで「三笠宮」の宮号を賜りました。
長兄である昭和天皇とは14歳もの年齢差があり、幼少期から厳格な宮廷儀礼の中で育てられながらも、どこか客観的で冷静な視点を保ち続けていました。三笠宮崇仁親王の経歴を振り返る上で際立つのは、皇族という特権的な立場に安住せず、常に「真実とは何か」を追い求め続けた姿勢です。
昭和初期の皇族男子の慣例に従い陸軍へ進んだものの、親王の関心は武力による威信よりも、冷徹な歴史の因果関係にありました。三笠宮崇仁親王と昭和天皇との関係は、皇室の長兄と末弟という血縁の情愛に結ばれつつも、皇室観や戦争観をめぐって時に緊張感を孕んだ独自の距離感を保っていたことで知られます。昭和天皇を誰よりも敬愛しながら、国家の暴走を止められなかった宮中や指導層のあり方に対して、親王は生涯にわたり自省の念を抱き続けました。