公明党と創価学会の関係とは?政教分離の真相と選挙の裏側を徹底解説
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公明党が誕生したのは1964年11月17日のことでした。当時、創価学会の第3代会長を務めていた池田大作氏の発意によって結党されました。
当時の日本政治は、大企業の利益を代弁する保守政党(自民党)と、大労組を背景にした革新政党(社会党)が激しく対立する「55年体制」の真っ只中にありました。都市部に流入した中小零細企業の労働者や自営業者、生活困窮者といった「大衆」の生活課題は政治から置き去りにされており、そうした層に急速に信徒を広げていた創価学会が政治進出を果たすのは、必然的な社会背景があったといえます。
当初、公明党の議員は創価学会の幹部が兼任しており、両者は事実上一心同体の関係にありました。しかし、その距離感を根本から揺るがす大事件が発生します。1969年から1970年にかけて起きた「言論出版妨害事件」です。
創価学会を批判する書籍の出版を阻止しようと、学会幹部や公明党議員が著者や出版社に圧力をかけたと国会で追及され、社会的な大バッシングを浴びました。この事態を受け、1970年5月3日の創価学会本部総会において、池田会長(当時)は歴史的な「政教分離宣言」を発表します。
この宣言により、学会役員と公明党議員の兼任禁止、国会・地方議会における宗教的教義の持ち込み禁止、機関紙の分離など、制度的な「公明党と創価学会の切り離し」が断行されました。名実ともに政治組織と宗教組織としての独立した形態へと舵を切った瞬間でした。