戦国元号「元亀」わずか3年で改元の真相と織田信長の権力闘争
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元亀年間(1570〜1573年)が歴史ファンの間で特別な意味を持つ最大の理由は、織田信長が生涯で最大の危機に直面した「第一次・第二次信長包囲網」の全貌がこの3年間に集中している点にあります。
『信長公記』や当時の公家・山科言継の日記『言継卿記』などの一次史料を検証すると、信長がいかに多方面からの包囲に苦しめられていたかが浮き彫りになります。
元亀元年の幕開け直後、越前・朝倉義景の討伐に向かった信長は、義弟である北近江の浅井長政の裏切りに遭い、命からがら京都へ逃げ帰る「金ヶ崎の退き口」を経験します。直後の姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を撃破したものの、石山本願寺の蜂起、延暦寺勢力の介入により膠着状態に陥りました。
翌・元亀2年には、敵対勢力を匿い続けた天台宗の総本山を焼き払う比叡山焼き討ちを決行。既存の宗教権威をも徹底的に破壊する姿勢を見せます。さらに元亀3年末には、東の大国・武田信玄が上洛の軍を発し、徳川・織田連合軍が壊滅的打撃を受けた三方ヶ原の戦いが勃発。信長は東西南北すべてを敵に囲まれる極限状態に追い詰められました。