卑弥呼の墓はどこにある?箸墓古墳の真相と宮内庁が阻む発掘の壁
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古代史ファンのみならず、考古学界全体が注視する卑弥呼の墓の所在地論争。その中心に位置するのが、奈良県桜井市箸中に存在する「箸墓古墳(はしはかこふん)」です。大和古墳群の主軸をなすこの古墳は、出現期の前方後円墳としては日本最大級の規模を誇り、ヤマト王権の成立期を象徴するモニュメントとして知られています。
中国の史書『三國志』魏書東夷伝(通称:『魏志倭人伝』)には、卑弥呼の死とその埋葬について次のような明確な記述が残されています。
「卑弥呼以て死す。大いに塚を作る。径百余歩、徇葬(じゅんそう)する者、奴婢百余人」
この記述にある「径百余歩」という規模は、当時の中国・魏の尺度(1歩=約1.44メートル)で換算すると直径約144〜145メートルに相当します。驚くべきことに、箸墓古墳の後円部の直径は約150メートルであり、驚異的な一致を見せています。墳丘全体の全長は約280メートルに達し、周囲には周濠が巡らされ、後円部は5段、前方部は4段という極めて精緻かつ威容を誇る段築構造が確認されています。
被葬者を巡る伝承として、『日本書紀』では第7代孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と伝えられています。昼は人が造り、夜は神が造ったとされる「箸墓の伝説」や、三輪山の大物主神の妻となった姫が箸で陰部を突いて命を落としたという悲劇的な神話が残されています。神話に登場する巫女的な性格を持つ姫と、鬼道に仕えて衆を惑わしたとされる卑弥呼の像が重なり合う点も、多くの研究者を惹きつけてやまない理由の一つです。