梅沢富美男の若い頃が超絶イケメン!下町の玉三郎と夢芝居の衝撃伝説
梅沢富美男の若い頃が超絶イケメン!下町の玉三郎と夢芝居の衝撃伝説に関する注目トピックをまとめてご紹介します。関心のある方は必見です。
昭和後期の大衆演劇界に突如として現れ、劇場の客席を満員にし続けたのが梅沢富美男さんの女形でした。白塗りメイクに艶やかな着物をまとい、憂いを帯びた切れ長の瞳で客席を見つめる「流し目」は、一度見たら忘れられない強烈な色香を放っていました。
当時、歌舞伎界の至宝であった坂東玉三郎さんの人気にあやかり、演劇評論家やマスコミが名付けた「下町の玉三郎」という異名は瞬く間に全国へ浸透。大衆演劇という枠組みを軽々と飛び越え、一般の女性誌やグラビア誌でも特集が組まれるほどの美貌と称賛を集めました。
劇場の熱気は凄まじく、彼が一瞬視線を向けただけで客席の前列から悲鳴が上がり、失神する観客が出るほどの熱狂ぶりでした。舞台写真に収められた当時の姿は、陶器のように滑らかな肌の質感と研ぎ澄まされたフェイスライン、そして指先一本にまで神経が行き届いた優美な所作が際立っており、令和の現在でも「女性以上に女性らしくて美しい」と絶賛され続けています。
兄・梅沢武生の一言から始まった女形への転身
意外なことに、梅沢富美男さんは最初から女形を志していたわけではありませんでした。若い頃は立ち役(男役)として舞台に立っており、映画スターのような二枚目路線を模索していた時期がありました。
転機が訪れたのは20代半ばのことです。当時、梅沢劇団の座長を務めていた実兄の梅沢武生(うめざわ たけお)さんが、富美男さんの繊細な顔立ちと細身の体躯、しなやかな身のこなしに着目し、「お前、ちょっと女形をやってみろ」と強く勧めたことがすべての始まりでした。
当時のインタビューや自著の手記において、梅沢さんは「最初は男が女の格好をして舞台に出るなんて絶対に嫌だった」と猛反発した心境を率直に告白しています。しかし、劇団の存続と客入りのために渋々化粧をして舞台に上がったところ、客席の反応が一変。それまで見たこともない大歓声を浴びたことで、徹底して女の情念と美しさを研究する覚悟を決めたと語っています。
舞台メイクとすっぴん素顔の圧倒的ギャップ
梅沢富美男さんの若い頃を語る上で欠かせないのが、舞台上の妖艶な姿と、舞台裏での男らしいすっぴん素顔のギャップです。
メイクを完全に落とした素顔は、凛々しい眉と彫りの深い目元、筋の通った鼻梁を持つ正統派の昭和イケメンそのものでした。下町育ちならではの歯切れの良い江戸弁と男気あふれるキャラクター、そして舞台で見せる女性以上の色気という二面性が、ファンの心を強く惹きつける決定打となったのです。