藤田嗣治はなぜ猫を描き続けたのか?乳白色の秘密と名作の真相
藤田嗣治はなぜ猫を描き続けたのか?乳白色の秘密と名作の真相とは一体何なのか? 主要なファクトを簡潔に解説します。
多くのファンが抱く「藤田嗣治はなぜ猫の絵ばかりを描いたのか?」という素朴な疑問に対し、美術史の通説では「大の愛猫家だったから」と片付けられがちです。しかし、当時の書簡や自著『地を泳ぐ』などの一次資料を紐解くと、そこには異国フランスの画壇で生き残りを賭けた冷徹な戦略的意図が克明に記されています。
1913年に単身渡仏した藤田は、西洋油彩画の分厚いマティエール(絵肌)では、伝統的なヨーロッパの巨匠たちに太刀打ちできないことを痛感しました。そこで彼が選んだのが、日本画の伝統である「線描」と、東洋的な白の美意識を油彩に融合させる道でした。そして、その表現を極限まで引き立てるモチーフとして選ばれたのが「猫」でした。
藤田自身の手記には、次のような趣旨の告白が残されています。「西洋の画家は人体を描くが、その肉体の奥にあるしなやかな獣性を捉えきれていない。猫の骨格や筋肉の動き、気まぐれな野生は、女性の神秘的な美しさと完全に一致する」。つまり、藤田嗣治の猫の絵の理由とは、愛玩動物のスケッチにとどまらず、西洋美術の核心である「女性美」と「官能性」を東洋の筆致で解剖するための最高の実体モデルだったのです。
アトリエには常に複数匹の猫が放し飼いにされ、時には十数匹に及ぶ猫たちと同居していました。藤田は彼らを抱き上げ、毛並みを撫で、寝転ぶ姿を何百枚、何千枚と素描し続けました。女性モデルを雇う金がなかった極貧時代、身近にいてポーズ料も取らず、かつ最も美しい骨格線を見せてくれる猫は、彼にとって無二の恩人であり、芸術的共犯者でもあったのです。