近江兄弟社とメンソレータムの違いとは?倒産危機と復活劇の真相
近江兄弟社とメンソレータムの違いとは?倒産危機と復活劇の真相とはどんな影響があるのか? 詳しい意味を丁寧に紐解いて紹介します。
近江兄弟社の歩みを語る上で欠かせない存在が、創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ(後に日本へ帰化し、一柳米来留=ひとつやなぎ めれる)です。1905年に英語教師として滋賀県近江八幡に赴任したヴォーリズは、キリスト教の伝道活動を展開しながら、建築設計事業や医療・教育事業を次々と興しました。
ヴォーリズは、信徒たちの経済的自立と結核療養所(近江療養院)などの社会事業資金を賄うため、1920年に米国メンソレータム社から販売権を取得。これが近江兄弟社の前身である「近江セールズ株式会社」の始まりでした。ヴォーリズが遺した「近江兄弟社」という社名には、神のもとで働く者はすべて兄弟姉妹であるという深い信仰と博愛の精神が込められています。
しかし、1964年にヴォーリズが逝去した後、同社は大きな試練に見舞われます。多角化路線を進める中でボウリング場経営や不動産事業に乗り出したものの、1973年の第1次オイルショックによる景気後退が直撃。急激な資金繰りの悪化により、1974年12月に負債総額約40億円を抱えて会社更生法の適用を申請し、事実上の倒産に追い込まれました。
経営破綻に伴い、長年育て上げてきた「メンソレータム」の商標権と販売権は米国本社へ返上せざるを得ませんでした。しかし、残された従業員たちは工場の生産設備と職人技とも言える製造ノウハウ、そして近江八幡の地で培われた企業理念を守り抜くことを決意します。大同薬品工業などの支援を受けながら、自社の手で一から処方を再構築し、1975年に生み出したのが「メンターム」でした。失意のどん底から社員一丸となって成し遂げたこの復活劇は、日本の産業界における事業再生の金字塔として今なお語り継がれています。