可睡斎はなぜ「眠るを可し」なのか?家康との絆と大東司の真実【2026】
可睡斎はなぜ「眠るを可し」なのか?家康との絆と大東司の真実【2026】とはどのようなものなのか? 主要なファクトを整理してお届けします。
寺院の名に「眠る」という文字が入る背景には、幼少期の徳川家康(幼名:竹千代)と可睡斎第11世・仙麟等鑑(せんりんとうかん)和尚との命がけの歴史ドラマが存在します。当時、今川家の人質として過ごしていた幼き家康を教え導いたのが等鑑和尚でした。やがて武田軍の追手を逃れる緊迫の局面において、和尚は家康を寺の洞窟に匿い、絶体絶命の危機から命を救ったと伝えられています。
時を経て浜松城主となった家康は、恩義を片時も忘れず、等鑑和尚を城へと招き入れました。旧交を温める歓談の最中、高齢の和尚は長旅の疲労から家康の面前で思わず居眠りを始めてしまいます。側近たちが無礼に息を呑む中、家康は微笑みを浮かべながらこう語りかけました。
「和尚、我の前なれば無心に眠るべし(眠るを可し)」
命を預け合える絶対的な信頼関係があったからこそ生まれたこの言葉に由来し、家康自らの命によって寺号は「可睡斎」へと改められました。現在も境内には、戦国の張り詰めた空気の中で育まれた人間味あふれる絆の記憶が大切に受け継がれています。