最後のプリンス徳川昭武の終の棲家「戸定邸」の魅力と歴史の深層
最後のプリンス徳川昭武の終の棲家「戸定邸」の魅力と歴史の深層の注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。
戸定邸を理解する上で欠かせないのが、主である徳川昭武の特異な足跡です。昭武は14歳の若さで慶応3年(1867年)のパリ万国博覧会へ派遣され、フランス皇帝ナポレオン3世への謁見や欧州各国歴訪を果たしました。しかし留学中に大政奉還と戊辰戦争が勃発し、急遽帰国して最後の水戸藩主となります。廃藩置県を経て再びフランスへ私費留学した昭武は、西洋の近代技術や文化、芸術に深く触れました。
帰国後、家督を甥に譲って隠棲を決意した昭武が選んだ地が、水戸街道の宿場町として栄え、母の実家にもゆかりのあった下総国松戸の地でした。標高約25メートルの高台からは、水戸徳川家ゆかりの江戸川の流れや広大な関東平野、そして秀麗な富士山を一望することができました。
この邸宅は、大政奉還後に謹慎・隠棲生活を送っていた兄・徳川慶喜にとっても特別な安らぎの場でした。残された『昭武日記』などの一次史料によると、慶喜は戸定邸を頻繁に訪れ、兄弟で熱中した写真撮影や狩猟、魚釣り、囲碁を楽しんだ様子が克明に記されています。かつて国家の命運を背負い、激動の荒波に揉まれた二人が、政治の権力争いから完全に離れ、一個人として穏やかな時間を共有した私的空間としての価値がここにあります。